嫁ちゃん
わたし
嫁ちゃん
新しいことを始めるつもりは、まったくなかった。
これまでの人生、色々なことに興味を持っては手を出してきた。木工や鉄工、プログラミングにイラスト。何かを自分の手で作り出す「モノづくり」の感覚が好きで、一度ハマると道具から一通り揃えて没頭する。だが、熱が冷めるといつの間にか触らなくなり、手元には使い道のない道具たちだけが静かに取り残される。そんな苦い経験を何度も繰り返してきたからだ。
だから、これ以上新しい趣味を増やす気なんて毛頭なかった。あの年末までは。
届かなかったクリスマスプレゼント #
きっかけは、趣味のカメラを入れるためのショルダーバッグだった。
市販の革製バッグをいくつか使ってはみたものの、どうにもしっくりこない。カメラが収まってもいいし、最悪入らなくてもいいから、とにかく自分が心から気に入るバッグをひとつ手元に置きたい。そう思い、年末のクリスマスのタイミングでひとつのバッグを注文した。
年内に手元へ届き、新しい鞄とともに気持ちよく新年を迎える──そんな絵を描いていた。だが、現実はそう甘くなかった。待てど暮らせど発送の通知は来ず、結局手元に届くのは年を越した1月中頃になるという。
楽しみにしていた分、肩透かしを食らったような落胆は大きかった。そして、届かない荷物を待ち続ける所在ない日々のなかで、ふと頭をよぎったのだ。
「待っているくらいなら、自分で作れるんじゃないか?」
元プログラマーの悪い癖かもしれない。道具を一から揃えて、構造を勉強しさえすれば、なぜか自分にもできるはずだという根拠のない自信が湧いてきた。もちろん、実際に手を動かせばその自信など一瞬で打ち砕かれる運命にあるのだが、そのときの私には「作れる」という確かな予感しかなかった。
思い立ったら止まらない。年が明けた2026年1月1日、元日。私はアトリエの作業台に向かい、革しごとを始めた。
画面の外にある、Undoの効かない緊張感 #
最初は何が必要なのかすら分からず、文字通り手探りで道具を買い集めた。
初心者用のセットを眺め、YouTubeの制作動画を見漁り、誰かが作った型紙を購入してトレースする。実際に手を動かしてみると、使わなくなった道具もたくさんある。だが、色々と買い揃えて使ってみたからこそ、「なぜこの道具が自分には不要だったのか」の理由が分かった。それは決して無駄な遠回りではなかったと思っている。
何より圧倒されたのは、デジタルな世界との決定的な違いだった。
パソコンの画面に向かってコードを書いているとき、間違えれば Cmd + Z を叩けばいい。一瞬で何事もなかったかのように元の白紙へ戻れる。だが、物理的な革の世界にUndo(やり直し)は存在しない。
なかでも一番緊張するのが、刃物での裁断だ。 定規を当て、刃先を革へと沈める。息を止め、少しでも刃先がブレれば、高価な革の断面は無残に歪んでいく。最初の頃はとにかく全身に余計な力が入り、翌日には「なぜこんなところが?」と首を傾げるほど腕や肩が酷い筋肉痛になった。
菱目打ちを木槌で叩くときも、手縫い針を通すときも、常に薄氷を踏むような緊張感がつきまとう。YouTubeの職人たちの手元はあんなにも滑らかなのに、自分の手元から生まれる縫い目はガタガタで、コバ(革の断面)を磨いても少しも綺麗にならない。画面の中のトライ&エラーとは違う、物理的な手触りの冷徹さを思い知らされた。
没頭の静けさと、アトリエの外の温もり #
けれど、その緊張のピークを越えたあとに訪れる時間は、驚くほど静かで心地よかった。
アニメや音楽を片耳で流しながら、ひと針、またひと針と、同じリズムで糸を引き締めていく。正直なところ、匂いだけで言えば昔ながらの「トコノール」の方が個人的には好きなのだが、少しお高いので今はコストパフォーマンスのいい「トコプロ」を愛用している。それでも、作業台の周りにふわりと広がる独特の匂いは、どこか気持ちを落ち着かせてくれる。革の繊維を磨き、無心で手を動かしているあいだ、頭の中を占めていた日々のノイズは綺麗に消え去っていく。
道具の手入れや試行錯誤を重ねるうち、かつてプログラミングに夢中になっていた頃の感覚が重なった。他人の書いたコードを読み、少し書き換えて動かし、動かなければまた直す。クリエイティブというにはあまりに泥臭い、あの地道な試行錯誤とまったく同じなのだ。
アトリエには、刃物や薬品があるため愛犬のそらは入れない。 肩に力が入ってヘトヘトになった作業の合間、アトリエの重いドアを開けてリビングへ向かう。足元に駆け寄ってくるそらの頭を撫で、ひと息つく。その温もりを感じることで、張り詰めていた神経がフッとほどけていく。
きれいに作ることより、やめないこと #
今の私の手仕事には、「自分らしさ」などまだ欠片もない。誰かの型紙を借り、誰かの技術をなぞっているだけの、頼りないビギナーだ。
昔の自分なら、思うように綺麗に作れない焦りから、早々に匙を投げていたかもしれない。だが、今回は少しスタンスを変えることにした。「やめる」という選択肢を手放したのだ。
飽きたり、忙しくなったりしたら、少しの間アトリエの扉を閉めて休めばいい。気持ちがまたふつふつと戻ってきたら、その時に作業台へ戻ればいい。休む期間があったとしても、完全に手放さず、細く長く続けていくこと。その積み重ねの先にしか、自分が本当に手に入れたい道具の形は見えてこないのだと思う。それが生きているうちに辿り着ける場所なのかは分からないけれど。
嫁ちゃん
わたし
嫁ちゃん
この「革しごと日記」では、完成した革小物をただ綺麗に並べるつもりはない。
切っ先が狂った傷や、歪んでしまったステッチ、道具の使い心地に首を傾げた日のこと。プログラミングのコードを手入れするように、暮らしの道具を自分の手で仕立て直していく日々の試行錯誤を、そのままここに書き留めていきたい。
時計の針は深夜を回った。 アトリエの明かりを落とし、リビングで丸くなっているそらの隣へ戻ることにする。明日もまた、あの作業台で小さな革と向き合うために。