嫁ちゃん
わたし
嫁ちゃん
長財布の材料を注文した。手元に届くまで、だいたい三日ほどかかるらしい。
ネットで買い物をすれば、発送から到着までに数日を要するのは当たり前のことだ。頭では「物が揃わないと、何も制作を始められない」と十二分に分かっている。それなのに、注文を終えた瞬間から早く手元に届いてほしくてたまらなくなる。新しいガジェットを注文したときと同じで、配送状況の追跡ページを用もないのに何度も開いては、「まだベース店を出たところか……」と画面を眺めてしまう。
特別な緊張感があるわけでもないのに、気がつくとアトリエに入り、作業机の前に座っている。 まだ作業は始められないのに、自分の身体と気持ちだけが先に来てしまっているような、落ち着かない浮遊感がある。
机の上は雑然としているが、使う道具はすぐ手に取れる位置に並べてある。片付けたというよりは、いつでも制作に飛び込める状態を保っているだけだ。切れ味を確かめる必要もないのに、無意識に革包丁を手に取り、革砥に刃先を何度も当ててしまう。
カット革という背水の陣 #
いつもなら、この待ち時間に型紙を切り出すことが多い。 動画を見ながら型紙をプリントアウトし、厚紙に貼り付けてカッターで丁寧に切り出していく。今回作るのは、YouTubeの「ネトラポートch」が公開してくれている型紙で、これが私にとって長財布の三つ目の挑戦になる。
これまでに作ってきた小銭入れやキーケースなどの小物に比べると、長財布は使う革の面積が格段に広い。「自分でも作れた方がいいだろう」という思いと、「今までもっと複雑な工程のものを作ってきたのだから、長財布くらい作れるはずだ」という感覚はあった。だが、いざ作る段になると、その自信の裏側からじわじわとリアルな不安が湧き上がってくる。
何より私をソワソワさせているのは、注文した革の「サイズ」だった。
もちろん、牛一頭の半分である「半裁」で革を仕入れた方が、余裕を持って型紙を配置できるのは分かっている。だが、初心者の自分が大きな半裁を買ったところで、長財布を作ったあとの余りを使い切れる保証はない。高価な革の在庫を部屋に抱え込んでしまう金銭的な心配が、どうしても頭をよぎってしまうのだ。
だから今回も、使う分量ギリギリの「カット革」を注文した。
それはつまり、余白がほとんどない背水の陣を意味している。 型紙の配置を一歩見誤ったり、革包丁を入れる手を滑らせて裁断を失敗したりすれば、その時点でゲームオーバーだ。傷を誤魔化すこともできず、またネットを開いて革の注文からやり直さなければならない。
「失敗したら、また数日待つことになる」
まだ革すら届いていないのに、どこから縫い始めるか、厚みの重なるカードポケットをどう均一に菱目打ちするか、頭の中で勝手に予行演習が始まってしまう。うまくいかない場所まで克明に想像してしまい、作る前からなぜか少し疲れてしまうのだ。
乳液の香りと、焦っていたあの頃 #
作業机の片隅に置いてある、トコノールの丸い容器に目が留まる。 蓋を開けると、ふわりと化粧品の乳液のような甘い匂いが立ち込めた。案外、好きな香りだ。
ネトラポートchの動画を見ていると、先生もこのトコノールを使って手際よく革の床面やコバを磨いている。あの滑らかな手つきと、机の上に漂う乳液の香り。動画を最初から通しで何度も見返し、手順を頭になぞっていると、少しだけ呼吸が落ち着いてくる。
革が届くまでの空白の時間は、手持ち無沙汰で仕方がない。 そんなときは、机の下の箱からハギレを引っ張り出し、小さなコインケースを作ったり、革包丁を砥石で磨き直したりして手を動かしている。糸の色合わせを試し、革の重なり具合を確かめ、コバを磨く感触を指先に思い出させる。
今思えば、当時の私はとにかくガツガツしていたのだと思う。 たくさん実際に作ってみなければ、いつまで経っても上達しない。そんな焦燥感のような熱量がどこかにあって、荷物が届くのを待つ時間すら惜しむように、手だけをずっとアイドリングさせていたのだろう。
届いたら、いつも通りに #
一つ目を作ったときは、ただ手順を追うだけで必死だった。 二つ目は、知識がついたぶんだけ「うまくいかない場所」が目について悔しさが残った。 そして三つ目は、まだ何も始まっていない。
嫁ちゃん
わたし
嫁ちゃん
玄関のインターホンが鳴り、待つだけの三日間が終わる。
特別な決意はいらない。気負ったところで、カット革の面積が広がるわけでもないのだ。 荷物をほどき、届いた革の表情を確かめたら、これまで続けてきた手仕事の流れのままに刃を入れるだけだ。
まだ始まっていないが、私の長財布作りは、もうとっくに始まっている。