嫁ちゃん
わたし
嫁ちゃん
そらちゃん
ポストに届いていたのは、中国からの小さなメール便だった。
海外からの荷物といえば、税関を通り抜けるあいだに箱の角が潰れ、どこか埃っぽくボロボロになって届くのが普通だと思っていた。だから今回も半分くらいはその覚悟をしていたのだが、封筒を開けてみると、拍子抜けするほど綺麗な小箱が入っていた。
箱から取り出したのは、小さな真鍮の塊。 思っていたよりもずっと小さく、手のひらに載せると、金属特有のひんやりとした重みがある。
画面の前であれこれ悩んでいたベクターの線が、本当に金属になって手元へ届いたのだ。
画面の輪郭と、そらちゃんの雰囲気 #
この刻印を作ろうと思ったのは、Macの画面の前でのことだった。
愛犬のそらの写真を引っ張り出してきて、ベクター編集ソフトのInkscapeを開いた。Inkscapeには写真を自動でベクターの輪郭線に変換してくれる便利な機能がある。それを使って、まずはサクッと輪郭を抽出してみた。
ただ、出来上がったパスを眺めてみると、あまりにも写真そのままの形になりすぎていた。 毛並みの細かな凸凹や髭の線まで忠実に拾ってしまっていて、これでは金属に彫り込んで革に押し当てたとき、細い線が潰れてしまうか、あるいは革の表面を傷つけてしまう。
そこで、ChatGPTにも相談しながら、刻印に適したシンプルな太さにデフォルメしてもらうことにした。 そのやり取りのなかで、私が一番気をつけていたのは「デフォルメしすぎて、そらちゃんっぽさが消えてしまったら嫌だな」ということだった。
世の中にいくらでもある「フリー素材のチワワのアイコン」になってしまっては、わざわざ自分の手で刻印を誂える意味がどこにもない。ピンと立った大きな耳の角度や、頭のわずかな丸み。他人から見れば些細な違いかもしれないが、そこそこそらの雰囲気が残っているバランスを探しながら、線を太くしたり角を落としたりして調整を重ねた。
何度かやり取りを繰り返し、ようやく「あ、これはちゃんとそらだな」と納得できる形に落ち着いた。
36mmというサイズ #
デザインが決まったら、次は金属に彫ってもらう番だ。
Amazonで見つけた真鍮刻印のオーダーサービスを利用した。中国の業者だったので、注文のやり取りでトラブルが起きないか少し身構えていたのだが、Amazonのチャットを使ってみると、こちらの杞憂はあっさりと消え去った。
機械翻訳のぎこちなさもなく、とても自然な日本語で会話が進む。用意した画像ファイルを添付し、「横幅を36mmにしてください」と伝えただけ。面倒なやり取りは何ひとつなく、注文は呆気ないほど簡単に完了した。そして届くのも意外なほど早かった。
なぜ「横幅36ミリ」だったのか。
この数字は、勘や思いつきで決めたものではない。当時、型紙の勉強として作っていたL字ファスナー財布のパーツを取り出し、側面の余白を実際に定規で測ってみた結果だった。
「ここに刻印を押したら、どれくらいのバランスになるだろう」 定規を当て、指で四角い枠を作りながら、大きすぎず小さすぎない幅を探った。革製品に入れるロゴは、大きすぎると自己主張ばかりが前に出て格好がつかないし、小さすぎれば細部が潰れて何の形か分からなくなる。
届いた真鍮を改めて見てみると、財布の端っこに収まるサイズとして、やっぱりこの36mmが一番しっくりきていた。
水を吹きかけ、木槌を落とす #
さっそく、手元にあった生成りヌメ革(1.5mm厚)のハギレでテストしてみることにした。
真鍮の裏面にはネジ穴が切られており、付属の金属棒を取り付けられるようになっている。だが、この棒を手に取ってみると、木槌で叩くにはいささか細く、心もとない短さだった。叩き損ねて自分の左手の親指を直撃しないよう、しっかりと垂直に構える。
革の銀面に霧吹きでシュッと少し水を吹きかける。 革を湿らせて繊維を柔らかくしてから刻印を打つのは、YouTubeで先生がやっていた手順をそのまま真似た。
息を整え、ハギレの真ん中に刻印を据え、木槌をコン、コンと均等に打ち下ろす、机に硬い音が響く。
付属の棒を持ち上げ、真鍮をそっと外してみた。

思ったよりもずっと綺麗に、くっきりと刻印が入っていた。
細部の線も潰れていない。革の凹凸がつくる陰影のなかに、ちゃんとそらの雰囲気が残っていて、「これならいいな」と胸を撫で下ろした。
自分の屋号と愛犬のシルエットが入った刻印ができると、まだ練習中の身とはいえ、なんだか急に作品の格好がついてくるような気がする。作家を名乗るにはまだまだ程遠いけれど、どこかこそばゆく、少しだけ背筋が伸びるような嬉しさがあった。
嫁ちゃん
わたし
嫁ちゃん
そらちゃん
使い終えた刻印を、作業机の片隅にコトンと置いた。
まだホットスタンプのような焼印の設備はないけれど、水で湿らせて木槌で叩くだけでも、ヌメ革にはしっかり意志の痕跡が残ってくれる。
アトリエを出て手を洗い、リビングに戻ると、足元にやってきたそらが私の指先を不思議そうにクンクンと嗅いでいた。